Barrel登録を記念して、2010年4月に小樽商科大学に赴任された商学科の石川業先生にお話を伺いました。
Q:商大の印象はどうですか?
一言で「明るい!」という印象です。
私は10年前の卒業生ですが、その頃に比べると学生さんが元気で明るいと感じます。といっても単に私が暗かっただけで、だから余計に明るく感じるのかもしれませんが。学生さんが明るいと、キャンパス全体が明るく感じます。
大学内だけでなく小樽市のイベントに多く関わっているというのも、10年前にはあまり聞かなかったことです。これには先生方のご尽力も大きいのではないかと思います。
積極的にいろいろな活動をしながら、勉強にもまじめに取り組む学生さんの姿は本当に素晴らしいと思っています。せっかくの才能やチャンスを、今後もたいせつにしていってほしいです。
Q:先生の研究内容について教えてください。
財務会計の論点の中でも、会計数値を使った「利害の調整」に関心をもって、いろいろと調べたり、考えたりしています。
【会計数値にもとづく利害調整と、その歴史の研究】
たとえば企業では、従業員や経営者にいくら給料を支払うのか、とか、出資者にいくら配当をするのかなどをめぐって、利害の対立があり得ますが、その調整に会計の数値が使われてきました。私はとくに、配当をめぐる、伝統的に厳格な利害調整に関心をもって、そこで使われる「資本」という数値の意味を調査してきました。おおざっぱにいえば、その「資本」の数値が企業に残される金額となって、それ以外が「利益」として配当の候補的な金額にされてきました。ただ、時代や地域によってその意味内容は違っていて、過去の「資本」の中には、現在の「資本」に反省を迫るものもあります。
もともと歴史を知るのが好きなこともあって、先ほどお話ししたような利害調整のあり方について、歴史的な変遷を辿りながら調査を進めてきた、ということになります。これまでに公表した論文では、1830年代のドイツ(の一王国)における「資本」のあり方まで遡りました。ドイツに遡ったのは、配当をめぐる利害調整のルールについて、日本が多くを学んだのがドイツだったからです。ドイツでの「資本」の系譜を遡ることは、日本での「資本」の起源を遡るという意味ももつんです。
もちろん、当時の「資本」にもとづく利害調整を直接に観察できるわけではないので、ひとまず、関係する当時の法律等を当事者たちにとって納得しやすかったルールと見立てて、そこから間接的に時代ごとの利害調整や「資本」のあり方を眺めてきた、ということになると思います。
【過去の合理性をふまえて、現在の合理性をみる】
単に感覚的に歴史が好きだからという理由とか、素朴に歴史を紹介するという作業は、それだけで高い意義をもつとは思いません。でも、専門家の間でさえ忘れ去られがちな「本来的な意味」を確認することで、現在の利害調整等の合理性を「反省」するという作業には、可能性があると思っています。それに向けて、さらに「資本」のあり方の起源を遡ったり、そこからまた現在に戻って、実際の利害調整のあり方を観察しているところです。
Q:ご担当の講義について教えてください。
前期は夜間主の「簿記原理」を担当しています。後期は昼間の学生を対象に「簿記原理」と「財務会計論」を担当する予定です。
Q:Barrelと図書館に期待すること、要望などについて聞かせてください。
インターネット上に学術論文を公開することで、専門家だけでなく、一般の人たちや商大生のみなさんが、「知らなかった世界」を、迅速に広く見られるのはよいことだと思います。本当に便利ですよね。今後も大いに論文を載せていってもらいたいと思います。
【一般向けか?、特定の専門家向けか?】
ただ、私自身の論文は、広く一般に読んでもらいたいという意識で書かれたものではありません。「論文には宛名がある」といいますが、私も特定の個人に向けて書くことが多くて、そしてその方は専門家でいらっしゃいますから、内容は簡単にならなかったと思います。
【自分の理解を深めるためにも】
深められた発想や表現を用いてこそ、より検討が深まるということは、あります。簡単ではない専門用語も使うのは、それが多くの専門家の検討を経たものであるかぎり、議論を厳密にするためであって、わかりづらい議論をするためではありません。結果として読者を遠ざける可能性がありますが、それは、検討を深めなくてよい最大の理由にはならないと思います。私を含めた読み手にも、書き手に「追いつく」ための一定の努力や学びは必要、と思うこともありますし。
ところで論文執筆中は、いろいろな面で追い込まれますので、書いた本人でさえ、そのプロセスで考えたことのすべてを記憶できているとはかぎりません。ですので私は今は、自分の備忘録としても、論文に必要と思う100%の内容を、100%のまま力一杯、書くことにしています。少なくとも「若い」といわれるうちは。それが自分の能力を、あらわにして、高めるだろうと。
尊敬する先生が、「書くのは80%、90%の「踊り場」までにして、そこから先の「階段」は読み手が昇れるようにしておく。100%を超えてもらえるように」という方針もあることを教えてくださいました。私もいつか、そういう境地に達することができるといいのですが…。一般向けに書けるようになることとあわせて、将来の理想像の1つです。
それはともかく、こういう書き手の思いも合わせて紹介してくれるBarrel関係者のみなさんの取組みは、ありがたいなあと思います。一般の方や商大生のみなさんに「こういう世界もあるのか」と知ってもらえる入り口を作っていただいているだけでも、私にはたいへんありがたいのです。
【「紙」と「データ」、どちらが次世代に残る?】
ところで、心配ごともいくつかあるのです…。もちろんBarrel掲載論文は、一度登録されればそれだけで半永久的な保存が保証される、というわけではないですよね? たとえば、企業で電子化されている会計データも、定期的な更新をしなければ保存がきかないと聞いています(安藤英義「会計記録の今昔」『産業經理』第57巻第1号(1997年4月)参照)。程度の問題はひとまずおいて、紙ベースの本や雑誌は時代を超えて残ることが実証されていますが、新たな取組みとして現在進行中の、電子化論文等の保存がどこまでの確率で果たされるのか、素人ながら心配です。資料が長く保存されるかどうかが命運を左右する歴史研究にふれたので、とくに気になるところです。
【どちらが丁寧に読める?、探せる?】
それと、個人的な印象かもしれませんが、紙に印刷された論文と電子化されてパソコンの画面でみる論文を比べると、印刷された論文のほうが丁寧に読める気がします。
もちろん、とくに海外ジャーナルの場合は、アブストラクトに目をとおしてから、必要と思うものを印刷して読むので、読み方も気合いが入って必然的に丁寧になるわけですが、アブストラクトやインデックスだけから論文の質をどこまで判定できるかに、不安もあるんです。論文本体を読んでこその意外な発見、新しい着想、気づきというものも経験してきましたので。
たくさんの論文に簡単に接近できるようになった反面で、そのぶんアンテナの感度をつねに高い状態にして、膨大な情報からの速くて的確な取捨選択もつねに行わなければならない、そういう最近の状況が一層、論文探しの効率化を迫っていると思います。査読による一定の品質保証もない私の書き物もBarrelに登録されているわけで、研究者を取り巻く「玉石混淆」の状況には拍車がかかっているようです。
読みやすさについては、個人差はあるとしても人間の能力的、視力的にいって、長時間でも丁寧に読みやすいのは、パソコンの画面よりも印刷された紙面のほうだという、根本的、一般的な傾向があるかもしれません。たしかに、電子書籍がさらに普及して、とくに子供のころから慣れていれば、私がもつような心配も薄れていくのかもしれませんが…。ある意味で、人間の視力は進化の途中、ということなのでしょうか。技術のほうも進化して、キンドルやiPadの画面では、電子書籍も読みやすくなっているそうですし。
それでも、いつのまにか、技術進化のスピードに人間もついていけると疑いもなく思い込んでしまわないよう、個人的には気をつけたいところです。便利な道具を使うことで満足してしまって、主体的な思考をおろそかにする、ということのないように。
【「まっすぐ」の効用と「寄り道」の効用】
Barrelのようなデータベースがあると、お目当ての論文に「一直線にまっすぐ」たどり着くこともできるので便利ですが、よい意味の「寄り道」が減ってしまった点も、気になります。紙ベースでは、ぱらぱらと雑誌をめくりながら目的の論文に至るまでの、寄り道、いってしまえば無駄があって、でもそこで、思いがけない発見やひらめきがありました。それも最近では減ってきたことを、個人的には少し心配しています。あくまで私個人の能力の問題なのかもしれませんが…、多くの学生さんが紙の辞書ではなく電子辞書を使うようになって、同じような心配を抱かれている先生もいらっしゃるようです。
親には叱られた寄り道や回り道も、学びや研究の場面では、志があるかぎり、よい「出会い」を与えてくれました。私の場合、埃まみれの暗い書庫にこもって、100年以上前に出版された、でもそうとは思えないほど立派な装丁、よい品質の紙、きれいな印刷の本と、静寂の中で「格闘」して、いろいろな発見をした経験が忘れられないのです。おそらく所蔵前に所有されていた方の、熱の入った書き込みにも、味わいがありました。
個人的な経験にもとづく単純な感傷にすぎないかもしれないので、思い出話しはここまでとしても、ある意味で、便利さと引き替えになにか大事なものを失いはしないか、運営者のみなさんといっしょに心のどこかで気にしていけたら、と思います。
【「古き良き時代」と「新しい世界」の相乗効果】
もちろん、紙ベースの書籍や論文等に関わってくる、資源の消費、自然環境の問題も、配置スペースの問題も、差し迫っている時期であることは承知しています。私がいうまでもなく、新しい技術の波に乗っていく工夫も必要ですよね。
でもこういうときだからこそ、伝統に新しさを付け加えている商大生のみなさんにならって、たとえば印刷版と電子化版の、相乗効果を提示できるような図書館にしていけたら素晴らしいですね(後日、日本経済新聞2010年6月21日朝刊1面「春秋」に目をとおして、(残る課題はさておき)少し嬉しいような、希望をもてるような気持ちになれたのは、私だけではないのかも)。
【管理運営者に手応えのあるかたちで】
生意気なことをいってすみません。もちろん私も自分の立場から、なんらかの一助であれたら、と思っているのですが…、Barrelが、教員に対してメリットを提供してくれることは理解しやすくても、図書館員のみなさんにメリットをもたらすのかどうか…。素人の目からは、図書館員さんのお仕事といえば、Barrelのような一種のリポジトリの管理運営も含まれる、というふうにはすぐにイメージできるわけではありませんでした。
そういう受け止め方が私だけのものでないとすれば、研究者や大学の知名度云々のほかに、あるいはそれ以前に、図書館、図書館員のみなさんに対する直接的なメリットが、目に見えてくるといいのだろうと思います。それは、作業のインセンティブ、やりがいを、明確なかたちで左右するはずですから。
質の高い学術論文を書くのは、私たち研究者を志す者の責任だとしても、少なくともBarrelの場合、図書館員のみなさんが重要な主役であると実感、認知されるかたちの運営がよい、と思うのです。
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石川先生、お忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。
これからも附属図書館では、先生方の研究成果の公開につとめていきたいと思っております。今後とも、ご著作をより多くの人々へ届けるため、論文等をBarrelへ寄贈いただきたくよろしくお願いいたします。